* 通過点 *





 
今日も俺はリンゴ飴を売る。

左隣には焼きそばを売る親父、右には面を売るじいさん。


蒸し暑い気候が夕方の独特なかすんだ空気を混ぜて、この空間を取り巻いている。


盆にはバイトをしようと、この夜店での仕事を希望した。

隣の店と比べて、俺の店には客が少ない。

焼きそばやは鉄板からの熱で暑さが増すし、かといって金魚すくいで子供の相手をするほどの人間ではない。

だから、ただ立っていればいいこの店。

とくに呼び込みもせず、笑顔も作らない。


店の前にはたくさんの人が行き交う。まるで、俺のこの店の中だけ時間が止まっているようだ。

浴衣を着て嬉しそうに歩く子供たち、うちわで風をおこしながら暑さに腹をたてている中年の男。

ここにはさまざまな人間がいる。

通り過ぎていく人の群れをただ見ている俺。

人生のほんの一瞬の通過点を俺は見ている。


女の声が聞こえて視線を動かすと、高校生ほどの少女が桃色の浴衣を着て、目の前にいる男に何か文句を言っているのが見えた。

男はダボダボのズボンをはいてだるそうに立っていた。

見たところ、二人は恋人で喧嘩をしているらしい。

男が今度は何かを言い返した。

すると女の顔がどんどん変わって、とうとう泣き出した。

男は鬱陶しそうに頭を書いている。

通り過ぎる人はみな、そいつらを横目で見ている。

こんなところで大声を出す二人は、この視線をどう感じているんだろうか。


女は両手で顔を覆って本格的に泣き始める。それを見て男は女の手を掴み、強引に連れて行った。

やがて俺の視界から消えていった。


俺はそのまま人ごみへと視線を戻す。


「お兄さん」

少し下のほうから幼い声が聞こえて、そのほうに視線を移した。

リンゴ飴の隙間から、小さな少女の顔だけが見えている。

「なんだ?」

俺は特に口調を変えず、いつもの調子で呟いた。

「あのね、これ一個ください!」

広げられた小さな手には、五百円玉が一枚あった。

「大きさは?」

少女の真っ赤な浴衣を見ながら尋ねる。

「えっとね、ちっちゃいの」

少女が指差した先のリンゴ飴を手に取り、少女へと手渡した。

二人の手の対照的な色と太さに少し視線を向け、その手で五百円玉をとって小銭入れから三百円を少女の手の中におさめた。

「ありがとっ」

嬉しそうに笑い、少女は黄色い帯を揺らしながら人ごみの中へと消えていった。


俺は再び雑踏の中へ視線を戻す。

さっきより、少し人が多くなったようだ。

耳へ入る雑音も大きくなる。


甚平を来た四、五人女たちが、店のすぐ目の前を通り過ぎていく。

茶色、金、オレンジ、様々な髪の色なのに、肌はみな同じに浅黒い。

笑い声が通り過ぎる瞬間、どきつい香水の香りが鼻をついた。

いろいろな匂いが混ざり、さっきまでずっと香っていた飴の甘い匂いがかき消された。

笑っている女たちの心の中は、本当に笑っているのだろうか?

ウザイ、ムカツク、どす黒い感情が渦巻いているかもしれない。

仲良くしているが、心の中までは見えない。

彼女たちだけではない、ここを通り過ぎる人はみな、裏の顔を持っているはずだ。

顔ではなんでもないフリをして、心では残酷な考えをめぐらせている。

 

 
「なあ、これくれん?」

面倒くさそうな、ひどくなまった声が聞こえた。

目の前には見覚えのある男が大きなリンゴ飴を指差していた。

「三百円」

俺はそいつが誰だったか気にせず、値段を告げる。

男はダボダボのズボンのポケットから黙ってクシャクシャの千円札を取り出した。

俺はそれを受け取り、小銭箱から釣りを差し出した。

男はそれをポケットに納めると、自らリンゴ飴を取り隣にいた少女にそれを渡した。

桃色の浴衣を着て、黒猫のぬいぐるみのような小銭入れを首からぶら下げていた。

見覚えがあると思った二人は、さっき店の近くで喧嘩をしていた二人だった。

女の目は真っ赤だ。喧嘩の名残りだろうか。

男から黙って飴を受け取り、静かにそれを舐め始めた。


「ありがとうございました」

俺はその静かな光景を眺めながら礼を言った。

男は俺の声に反応し、一度俺を見てからすぐに歩き出した。

女は俯いてただ飴をなめ続けている。

男はそれに気づき、髪をくしゃっと掻いた。困ったときの癖なのだろう。

そして黙って女のほうに右手を差し出した。女は男を真っ赤な目で見て、また下を向いた。

そして迷いを見せながらゆっくりと右手を伸ばす。

男は少し強引にその手をとった。


リンゴ飴を舐めながら女は男にしっかりと手を繋がれ、遠くのほうへ消えた。


俺はまた、何事もなかったように人の群れを視界に入れる。

笑い声も怒鳴り声も泣き声も、すべてが混ざり合って、騒音が耳へと響く。

短く生えていた髭や頬に汗が伝う。

頭に巻いたタオルや白いTシャツにも汗が滲んでいる。



さっきの少女や男は、今ごろ笑いあっているのだろうか。

そんなのはもう分からない。

もう、見ることもない。

真っ赤な浴衣を着て、黄色い柔らかな帯を揺らす少女にももう会うことはない。

言葉を交わした少女たちは、もう俺とはかかわりを持たないだろう。

 

そう、ここは人生の一瞬の通過点にすぎないのだから。
 
 



end
 


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